~ウラサの日記~

マインドゲームを終わらせよう!

2017.08.13.09:57

紅さんのブログの記事の一部を
分かち合わせて下さい。

ちゃんと見れていないと、
このストーリーのゲームにも、飽きることがない。
終わらせたいなら、生きないとねえ。
持っていないものは、捨てることができないから……。

その通りなんですよ。(#^^#)
黙って目撃することで、
無意識の副産物が理解できるようになります。
もし、以前より生きることが楽に感じられたなら
洞察力、つまり意識の生長(成長)のおかげなんです。
意識って何?
生命って?
そこに繋がっているのか分離しているのか?
分離は妄想で夢のようなものなのですが、
それを通して
はかり知れない自分自身に気がついていく旅…
悟りの道です。

何でも意識すると通過が早いです。
だから悟り人は意識的にしなさいと言うでしょう?
自然法則化で無意識の辛さを通して悟るより
自発的に思考と向き合ったなら
どれだけジャンプできるか
私は体験を通して感じています。

紅さんはワークしているので
思考が回る心地悪さを知っていますし
簡単に止められなくて、
それが問題を生み出すことも理解できていると思います。
薬を飲んでも、
この問題が解決しないことも
理解できていると思います。
パソコンが暴走するように、
思考が止まらないことに生きることの問題があると
それにまず気がつけば、
あとは思考から目撃に
生命エネルギーの流れを変えるだけです。
波風を自分がたてないなら、
物事はそれなりに静かに通過していきます。
自分が波紋を大きくすれば、
それが意識に映し出されるだけです。
この生命現象は、善悪でも正誤でもなく
そう言うものだと見て取る必要があります。

人類のマインドゲームは、そろそろ袋小路です。
人類があまりにも生命から分離する
マネーゲームで狂っているからです。
集団的な無意識から抜け出さないと
認知症の山と化すでしょう。

自分で自分の面倒を見られない人の山々山…

意識が育つと精神的に自立するので
「助けて欲しい」と言う感覚からも自由になります。
不満感は消えていきますから
起こることは受け入れられます。
この感覚は、他人の手助けを拒むのではなく、
何もしてくれなくても
別に恨み言は持ち合わせないと言う感覚です。
言葉にすると無理がありますけどね。

今の時代ほど悟りが大切な時は稀でしょう。








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臨死体験の記事から

2017.08.08.10:24

10人の臨死体験と言う記事がありました。
マインドが落ちていない人の体験で、
人によって異なりますが、
その中に分かりやすいものがありました。
未完の生命エネルギーがどのように動くのか?

その人は、とても心地の良い状態に入り
別にそこから抜け出す必要性は感じなかったそうです。
でも、母親を残してきたことが思い出され
自分が面倒を見てあげなくてはと
思った瞬間に肉体に戻っていたそうです。

釈迦の言葉にありましたね。
欲望だけが生まれるので、欲望がなければ
決して生まれることはないと…

たまたま臨死体験でしたが、マインドの死は
起こっていません。
マインドが死ななければ、
その未完のエネルギーによって
肉体を完全に脱いだとしても
また新しい肉体を求めて戻ることになります。
同化、ウラサの言う人化現象ですね。

生命の中心から見れば、
同化は夢のようなものなので
それゆえ釈迦は
決して生まれていないと言います。
ですが同化している状態では、
地獄のような苦しみも味わうわけですから、
早く覚醒して同化を終わらせる必要があります。

覚醒とは、文字通り夢を見ていない状態と言うことです。
生命エネルギーが今ここだけしか
関与していないことをよ~く洞察してください。
マインドは過去の記憶に支配されたバイオマシンです。
パソコンのような持ち物です。
今ここで起こることは、
言葉ではなく動的な動きです。
安らぎの連続性なのか、悶々とする連続性なのか、
自分を照らしてください。
静けさで照らすのです。
そうすると、たいていの人は、安らいでいないので
イライラしたり、退屈したり、不安になったりします。
それをごまかすために動き回ったり
テレビをつけっぱなしにしたりします。
静けさが怖いわけです。
悟り人が、煙たがられる理由です。
静かな状態では、ごまかせないのです。
今ここを生きるとは、善悪とか
正誤とか相対の夢物語ではなく
自分自身であることにくつろぐことです。

そういう意味では、善悪、正誤を主張して生きるなら
その人から笑顔と安らぎは消えていくでしょう。
生命エネルギーは、やすらぎなのであって
善悪とか正誤とか男女とか
そう言ったことで動いていません。
全体がひとつとして生命現象が起こっています。
永遠の今ですね…

思考を超えたところからが悟りですが
男でも女でもない、陰陽の統合される入口です。

和尚は、男性でも女性でもないので
それを私性と呼んでいます。
第五身体です。

不満に使うその生命エネルギーを
覚醒に使って下さい。

やがて、覚醒の連続性と化してきます。
意識一元です。




行間を読む

2017.08.03.07:53

別に急ぎませんから…

行間を、つまり言語化して意識に上がっていない
無意識を読み取ってください。

困っていないと言う感覚がそこにはあるはずです。
待てますよ…

私、急いでいるもんで…
行間は…

それじゃあこまるから、早くして…
イライラするな~
余裕ないんで、またにします。
ええ~い!無理してでもやってしまえ!
そして事故ってしまう。

自己があればあるほど、事故に遭う。
日本語っておもしろい(#^^#)
バイオコンピュータ、
マインドのプログラミング言語の中でも、
日本語は優秀な言語でしょう。

マインドを主人の座から
便利な持ち物の座に格下げして下さい。
生命は永遠の今ここです。
それがご主人様に返り咲く…
パソコンのアプリは、
オペレーティングシステムが存在
しなければ、動けないのです。
全体が親なのです。

同じように、マインドと言う部分は、
生命と言う全体の存在によって
支えられています。
エゴの命と言うものは質の次元にはありません。
生命の中にエゴと言う現象が起こっているのです。

使えるもの、生命エネルギー
使われて形態が変化したもの、
それには執着しないことです。
変化したものは、
消えゆく姿を目撃する意識が大切です。
それは、またもとのさやに納まります。
生命エネルギーに…

ニュートラルなものが変化して形態を取る
だからウラサは忍法に例えています。
化けたけど、元に戻れないと苦しいものですよね、!(^^)!
でも大丈夫…
化けたものの世界は夢みたいなものだから…



生まれるもの

2017.07.27.10:01

昨日、にしきさんと悟り話をしたのですが
その中で、「もう生まれなくていい、最後にしたいね」と
話しました。
成仏は、死んでするものではなく、
生きているときにするものです。
だから成仏できないまま肉体を脱ぐと
また憑依するべく肉体を探す必要があるのです。
物理次元でのエネルギー現象が未完だから、
完結するまで続きます。
自分が肉体だと思えば、
それを使うことでしか、願望は叶わない。
願望を叶えるためには、肉体が必要だと
思い込みますから、また探します。
ウラサはそれゆえ、人ではなく
人化現象と言ってきました。
名詞ではなく動詞、
現象として刻々と変化するものです。
この形態に名前をつけることで、
人はありもしないドラマを想像します。
マインド劇場です。
それは、ジグソーパズルのように
生命をバラバラに見立てて解釈する見方です。
だけど生命エネルギーは、
どこまでもひとつとして存在します。
映し出す力、意識は、スクリーンの
ようなもので、私だけ切り取ることは出来ません。
そこに気がついてください。
切るなら、全部消えます。
映し出すなら、全部映し出されます。
パソコンもテレビも映画もそうでしょう?
だから、悟り人は私の意識ではなく、
意識の中に私と思い込み
同化している個体があると言うのです。
意識に映し出すものを意識にすれば、
合わせ鏡(ありのまま)ですが
自分だと思っている個体を含めて
全てが消えます。
悟り人の言う、世界が消えるです。
さて、よく洞察してほしいのですが、
和尚が分かち合ってくれている釈迦の言葉です。
今朝シンクロしました。

あなたは生まれない
あなたの願望だけがまた生まれる
あなたはいないのだから、
あなたは生まれようがない
それゆえ仏陀は言う
もしあなたが欲しがることを落とせば、
あなたは二度とふたたび生まれることはないと

子供はやたら欲しがりますが、
大人になると、じだんだふんで
欲しがらなくなりますよね。
大人とは意識を取り戻した人ですけど…
(*^_^*)
あ~こりゃこりゃ

悟りの始まり

2017.07.23.11:08

悟りには始まりがありますが終わりはありません。
生命つまり、全体と言う質に繋がるようになれば
自分が幸せであったことを知ります。
生命エネルギーは、安らぎだからです。
そこが悟りですね。
そして、それを知った時から、
幸せではない自分を妄想して、
幸せになろうと動き回る思考から自由になります。
もう、不幸が怖くて、幸せになりたくて動くのではなく
安らぎから動くことが出来ます。
ただ、動くときは動くだけ…
いくらでも、静けさの中に留まることもできます。
そこが、我が家なので…

安らぎの深さと広がりに終わりがないので
悟りには、始まりはあっても、
終わりはない永遠の今です。

言葉で言うことは、出来ないので
自分で気づく他ありません。

人に生まれた栄光は、そこにあるのだから…

意識に映し出されたものは、全部が分離していません。
そこに「私」を分離させたとき、
実相とかけ離れた分離の、妄想解釈ゲームが
始まります。

生命からすれば、そんなつもりはないのであって
いつだってエネルギーは全体に与えられています。

何もしたくないと言う感覚の時は
どうぞ、思う存分思考から離れて寛いで下さい。
そこに何もしないことへの罪悪感は必要ありません。
我が家に戻るのに遠慮はおかしいです。(#^^#)

しっかり休息するとまた笑えるんですよね。
幸せの笑いです。
私の体験では、静寂と笑いって神一重なんです。
だから笑いは神聖なる状態です。
静寂の中に笑いは、スタンバイしているような
そんな感じです。
トリガーは人によって異なるかも知れませんが
どっちみち、生命に繋がる単純なことです。

ウラサの場合、生活音の瞑想で鳥さんの唄を
聞いているので、
カラスのリズムがおかしくてよく笑います。
吐く呼吸ですよね。
クワァ~
クワァ~
カッカッカッ~
スローモーションで聞こえるんですよね。
そのとき、大笑いモードになります。
カラスって、幸せなんだと感じられます。
意識には、幸せな笑いが映し出されていて
その目撃全体が自分自身です。
だから、今ここでの体験にだけ
人は責任を取らされるのです。



意識の副産物

2017.07.22.14:59

意識を知らないままほとんどの人は肉体を脱ぎます。
意識が生長すれば、それは、
副産物として外側に現れます。
無意識の副産物もそれなりです。
副産物は色々なのですが、
それを解釈すると意識が見えなくなり自分を見失います。

今日も美祢のOさんが同居の義理の母、ばあちゃんの
無意識についてストーリーを展開します。
認知症でもないのにと、許せない様子…
私は全部、意識がないからだで済ませますが
それはまだ、Oさんには、理解できません。
ストーリー仕立てのゲームの解釈に
同化しているからです。
もう解釈しなくなると、マインド的解釈そのものが
面倒なものになります。

私は、実家のお母さんについての話題にふれました。
お父さんが亡くなられて、長い間一人暮らしの方でした。
なので、自立心は強い方のようです。
あるとき、自分自身にそれまでにない
変化を感じたそうです。

急な老化でしょうね。
そういうものは、当然にやってくるものです。
それでお母さんは、預金や身辺整理をして、
社会福祉に相談し、自分から施設に入ったそうです。
そして、Oさんには、事後報告だけ…
私は、それが、意識の成長度の差だと言いました。
実家のお母さんは、嫁ぎ先のお義母さんより
ずっと自己に精通していると言うことだと…
自分の面倒を見られることは、意識の副産物です。
悟り人でなくとも、ある程度意識が生長している人は
こういった、気づきを持ちます。
ですから、鶴亀が反対になり
意識が前面に出て生きる悟り人は、
本当に人畜無害です。(#^.^#)

悟りに直接縁がなくても、
自然の法則下でゆっくりですが、意識の生長は
起こります。

悟りの道は、これを意識的に行うものです。
だから量子的な飛躍と言われています。

意識って何?
それがあるのとないのとどう違うの?

思考の上が意識の世界です。
思考の下は動物の世界です。

意識を体験していない人々は
思考しなくなると、動物と同じになると恐れるのです。
どちらも思考の世界にないので不幸感は存在しません。
だけど、意識は自然を超えています。
人は、自然と調和しながら、意識に従って生きることが
出来る可能性を秘めているのです。
釈迦が言うところの、自らの灯です。
それに従って生きればよいことで、
利害のあるゲームのルールは必要ではありません。
今ここが全てです。
生命とは、今ここに溢れる質のものです。

物事を映し出す、性能の良い鏡の質として
自己を想起できるところまで行きましょう。










ファイト

2017.07.14.19:07


ファイト
戦わない君のことを
戦う奴らが笑うだろう
ファイト
戦わない君が好きさ
安らいで笑っていろ


暑くなりましたね。
意識をもって自己に精通しましょう。
これって、楽しいものなんですよ!(#^.^#)
始まりはあっても終わりはないですから…

中島みゆきさんのファイトの替え歌です。
反対ですけどね。
みゆきさんの歌詞は、
「戦う君のことを戦わない奴らが笑うだろう」ですけど
ウラサの替え歌は反対です。

自己想起と自己観察

2017.07.09.10:28

自己想起と自己観察…
和尚は、自己想起だけで辿り着くのは
とても難しいと言っています。
これは、自分より前を歩く師匠や友の存在が無いとね…

なぜなら、エゴを破壊してくれる人が存在しないと
すっかり、勘違いしてしまうからです。
ヨガで起こりやすいとも言ってきました。

それでも、まずは自己想起だと思います。
今の自分からスタートですから…
普通の眠り人は、思考に同化していますから
簡単に腹をたてます。
また、おだてられると、簡単に乗ります。

そのときワークで自己を想起しているなら
想起している自分の感覚に向かった意識(覚醒を)
切らさないようにします。

ウラサの場合、頭から遠い足の裏が
大地から押し返される感覚とか、とにかく足の裏の想起を
切らさないようにしました。
これは、呼吸でもいいですし、背中の感覚でも良いですが
ウラサは足の裏の感覚を使ったと言うだけです。

図面を描く仕事もしていましたし、
それが一番やりやすかったのですが
それでも図面を描きだせば、
もうすっかりマインドと化していましたよ。
あっ!忘れてた…
つまり、足への覚醒が切れて、
マインドにどっぷり同化していたという意味ですが
この繰り返しでした。、
癒着していると和尚が例えるような、
「強烈な癖」から自分を解放するのですから
このくらいのことでへこたれていては、話になりません。
それ以上、悟りへの渇望が必要です。
砂漠で水を欲するくらい…
それが、準備の出来た人です。
夢追い人は、うんざり…
起きていたい…

日本語は良くできていると言う話も
ブログでしてきました。
「あの人、すぐに切れる」と表現しますよね。
何から切れるのかと言うことへの体験が悟りの一瞥です。
自分自身への想起が切れてしまうと言う事なのです。
怒りはとても荒い波動ですから、
踏ん張りやすいでしょう。
ですが、「あなた凄い」とおだてられるなら、
足の裏の感覚への想起は、どこへやらとなり易いのです。

美祢のOさんは、今、
このあたりのお試しコースかと思います。
市会議員へのおだてに、
もう少しで乗りそうになったらしいですが
何とか踏ん張って…
ですが、ミニコンサートは、
エゴのきれいごとに乗ってしまったようです。

眠り人の生き方ならこの繰り返しなのですが
せっかく悟りに縁があったのだから
まずは、エゴの破壊を生きて欲しいと願います。
コンサートはそのあとでも出来ますし、
夢は一番大切なことではありませんから…

まずは、自己想起することで、
覚醒が切れると言う現象を理解できます。
私はそうでした。
そしてマインドに同化すると言うことが
どういうことかも理解できます。
これで、マインド以外に帰ってくる家が出来ますよね。(#^.^#)
家なき子の卒業です。
自分を見失ったら、我が家に戻って休む…
それが瞑想です。

あなたは、次第に動けるようになると
和尚は言いますが、動く禅の前に
静かに瞑想することがができなければね…

自分自身のひかりを見失うことから、
不安感が生まれます。
それは、いつも人の内側で起こるのです。
内側で見失ったひかりは、
内側で取り戻していくしかありません。

家が出来たら、そこから(その感覚から)
思考を眺めてください。
自己観察を開始します。
その家から、
簡単に引っ張り出されないようにして下さい。
思考に負けるな!

息が詰まるような感覚に襲われたら、
覚醒切れですから、我が家に戻って下さい。
マインド現象って、息が詰まるんですよね( 一一)

覚醒の連続性になれば、淡々と呼吸が流れます。
それは、執着するものが何もなくて流れている
ひとつの象徴です。


悟りだけを見つめて

2017.07.03.12:03

自分の悟りだけを見つめて生きること
いつか人は始めなければなりません。
時期が来た人から始めてください。

自分が悟らない限り
つまり、目を開かないと
盲目のままでは他人を救えません。
まあ、本質的には、自分で救うしかないのですが、
悟り人のアドバイスは、助けになるものです。
そして何もしなくても、その質が周りを浄化します。
あとは自分で導きます。

和尚の言葉です。

どうして他の人に奉仕することなんかできる?
あなたがまず自分の内なる実存に達することなしに--?
完全に利己的になるのだ
もしあなた自身の内なる光が燃えていれば
他の人たちに手を貸すこともできるかもしれない
そうでなかったら あなたの奉仕など災いの種でしかない

悟り人は、眠り人のエゴを打ち砕きます。
あっ!
それもエゴ、これもエゴと言った具合に…
エゴなして意識は残りますが
意識なしでエゴは存在出来ません。
全ての思考を落としてもそれでも残るものが
永遠の生命です。
そして目撃できるものは、生命の中での現象なのです。
現象は、流れますから、執着できません。
すれば苦しむだけです。
目撃力そのものは、姿かたちを取りません。

自転車に乗って笑っているより
ベンツに乗って泣いていたいと言う言葉を
過去記事で紹介した記憶があります。
実際にネットの日記に女子が書いていたものです。
欲望がご主人様である生き方が
実に分かりやすいですよね。
言語化された「心地良さ」と言う言葉を知っていても
状態としての心地良さは知らないのでしょう。
ほとんど生きていないから…
心地良さは言葉ではなく状態ですから…
自分で体験しなければ分かりません。
体験すると逆に、心地悪さに敏感になります。
それがマインドの言語化、
おしゃべりのどうにも止まらない状態です。
無駄にエネルギーだだもれ…
出血が止まらない状態に似ています。

マインド現象が敵なのではありません。
それがご主人様で引っ張られることが不幸なのです。
マインドを使うと言うことは、始まりと終わりが
意識できるということでもあります。
ですが人は死を恐れます。
一番近くて、同化しやすい肉体ゲームの
終わりを意識して
ゲームの終わりを見届けることが出来れば合格します。
さなぎから蝶…
亀から鶴へ…

よくできたゲームだったけど
無事に終わることが出来ましたって(#^^#)

黒うさぎさんへその2

2017.07.01.15:41


黒うさぎさんのコメントです。
分かち合いましょう。

確かに自己想起?中に自分の頭の中に
なにも流したくなくても
ふと考えたことや思いついたことなどが
勝手に独り言で出てきてしまうのですが、
それが「言語化」ということでしょうか?

そうですね。
全て思考は過去から来ています。
そうではありませんか?

「今今と今という間に今ぞ無く 
今という間に今ぞ過ぎ行く」
道歌です。


統合失調症と言われる人は
その独り言がリアルな世界になっています。
意識がほとんどなく
思考に引っ張られるのです。
主人は亀で、思考の言いなりです。

あと、自己想起できているつもりの時に
自分の独り言の声とは別に、
よく直前に思い出していた音楽や歌が
原曲のままで流れています。

これは、マインドが記憶の媒体として
機能している特徴で、
記憶したものが勝手にくるくる回るのです。
時間軸では直前に記憶したもの
印象に残っているものが優先的に回ります。
エネルギー的に言えば未完のエネルギーです。
意識的に終えたものは、未完になりません。
意識的に開始し、意識的に終えることが出来ます。
瞑想に入るとき、チベタンベルの音で入り
気が狂ったようなカタルシスをしても
チベタンベルの音で終えることが出来ます。
意識的とはそういうことです。

多くの場合、勝手に(無意識に)オートマティック
で回転している
過去のイメージに多くの眠り人は影響されて
生きています。
テレビでカレーや餃子の番組を見たなら
今日はカレーにしようとマインドに投影され
そしてカレーを作ったり外食したりします。
この繰り返しを「生きる」と思い込んでいますが
機械的な人生です。
覚醒は、思考からの自由です。
鶴と亀が反対なのです。
思考が夢なのです。
一切思考がやってこない状態こそ
存在している状態です。
「私」と言う感覚は、心理的な境界線なのです。
実相にはそんなものは存在しません。
それを知るには自己観察で
思考のメカニズムを見て取ることです。
まるっとお見通しだい!
と言えるほどに…
思考の中身、ストーリーに関係なく
くるくると思考を回すことそのものが
深刻で重荷と感じられるまで…

外側の世界のように自分の声があっても
それと同時に隣か後ろで流れている感じで不思議です。

黒うさぎさんは、肉声をあげないで本を読むとき
内側で声を出しているのに今まで気がつかれなかった
と言うことですか?

よほど右脳が使える人でないと
必ず、本を内側で声を上げて読んでいるはずです。
目撃なら一瞬で済むことも
文字で伝えるなら時間がかかりますし嘘でも
わかりません。
それが時間の正体です。

思考がくるくる回ることは無駄にエネルギーを
使うことですから、静寂の時間が多くなると
そのこと自体がうんざりするくらいになるはずです。
和尚は一日に20冊くらい読めていたそうです。
これは言葉ではなく、目撃して読まなければ
出来ないことです。
つまり絵を目撃するように読むのです。
内側で声をだしません。
これが出来ると、あの消耗するような
感覚は薄れます。

こういうことに気付けていたら
「思考の洞察」になっていますかね?ヽ( ̄д ̄;)ノ

内側のおしゃべりが止められなくて
そのこと自体がうっとおしくイライラする…
それから逃げるために静けさから遠ざかり
自分のうっとうしさを忘れるくらい
動き回る。
禅を組んでみればわかります。
難しいはずです。
人が動きたくて動いていると思っているのが
大嘘だと理解できます。
静寂が難しくて動き回ってごまかしているだけです。

同じことをしているように見えても
一日中、静けさとともに在ることが出来る人と、
とてもそんなことはストレスで
出来ない人がするのとは
質的に天と地の違いがあります。
「ストップできないから動くしかない!」
この眠りを社会は正当化しています。
マインドとはそういうふうに機能します。

内側のおしゃべりに気がついたところですから
黒うさぎさんは、これから本質的な「生」が始まります。
思考を止めようと思っても苦しみます。
うんざりすること、
飽きることです。
その愚かさを見て取ると次第に静かになります。
生きてください
言葉が必要ないほどに強烈に!





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