~ウラサの日記~ 気づきがもたらす自由

気づきがもたらす自由

2017.01.01.08:39

あけましておめでとうございます。

年末にquestさんからコメントをいただきました。
ブログと共に皆さんが成長されて、本当に嬉しいです。
今年も、分かち合いたいと思います。

 こちらに移住して3年が過ぎました。淡々とした日々でしたが・・・・・ やっと回転が止まってきました。車はすぐには止まれない。その通りでした。今年の夏ぐらいからやっと「座る」ことができるようになりました。「座る」ことで見えてきたものがあります。

座れることへの準備…
生きることは、行き帰りで完結します。
だから、第二章では、座れること(戻る道)への準備でもあるのです。
異邦人としてやってきた私たちは帰る道が意識できない苦しみを味わっています。
特に禅を組む必要はないのですが、静寂の時間が多くなることは、大切なことです。


例えば、散歩したり、隣人と話して笑ったり、買い物行ったり、食事したり、出来事は普通に起こってくるのですが、・・・でも、自動的に勝手に起こって来るんですよね。

quest劇場(意識)の中で、役者さん達(自分含む)が演じているのを見ているかのようです。良いと思える事も、悪いと思える事も、走馬灯のように流れていく、そういう風に感じることが多くなりました。


これは、意識を意識するようになると、そのように見えるようになります。
目撃の中心が自我ではなく「空」に戻ると、全ては全体の中での動きとして見えるようになります。

あと、当たり前のようにしている価値判断が、自動的に起こってくることも気づくようになりました。内面の深い所にある、価値観(洗脳)にも徐々に気づき出しています。 そのブロックの塊が融けだすごとに、「こだわり」が消えていき、どうでも良い気になり楽しめます。これが最近の一番大きな変化のように思います。

そうですね。
「空の功徳」です。
目撃が理解を生みます。
それは、外側から体験もないままインプットされた価値観ではないので、
自分自身の鎖を開放するのに役立ってくれます。
副産物ですが、それなりの恩恵が生まれます。
私も人の成長を意識で捉えることが出来たとき、洗脳社会で起こる、比較する癖が消えました。
まだまだ闇をかかえ、動物意識とさほど変わらないエネルギー体を
本能さえ消えつつある覚醒者と比較しても仕方ありません。
成長のプロセスなのだから、そのように出来ているのだから…
肉体年齢で比較するのは、とても幼稚です。
この気づきは、本当に思考から解放してくれました。
マインドは比較マシンですからね。

ウラサさんに出会った頃は、どう選択すればいいのか?そんな質問をしていましたね。 今は、その選択すらストーリーの一部だと分かります。そもそも「選択」は言葉上の概念であり、そんなものはないんですね。(笑)

どんな望みも、誰かのようになりたいという思いも、何かになりたいという、それ自体がイルージョンだった。・・・・・・

常識とか、大人の世界とか、世間体とか、それを自分でぶち破ろうと思ってました。でもね、そもそもそんなものは、最初からなかった・・・・・自分で自分をがんじがらめにして、抵抗し・・縄をぶちぎってやる・・とストレスホルモン放出し・・・まったくトホホな一人芝居。 そして、怖いという思いにも蓋をして、恐怖心に気づかない振りをしていた。

悟り友は、皆さん成長されていて、それがウラサの喜びです。
生命現象には、意味なんてないんです。
それは、アートのようにただ起こっている。
祝祭のアートです。
マインドの次元は起こっている現象を死んだ言語に変換する次元です。
だからそこより上の次元に入るには、その解釈をやめる必要があるのです。
「どっちが正解」と言うこの感覚は。言語上のものです。
それを続けると同じ次元で堂々巡りになりますからね。
言語化からの自由をちょっと想像して下さい。
長年の癖ですから、静かにしていることが主流になることしかないです。
それが、瞑想であって、自分自身を見失わないことです。
これは、生きた静寂です。

全体をアートとして楽しめたなら、競争も戦争もないでしょうが、
マインドは、機能不全で統合することができないでいます。
意識が成長すると、「行って来い」が出来るようになります。
意識がなければ、片道だけの生き方しかできないのです。
それが、依存症なのですが、生きることは消えていくことへの流れだとしれば、
何の執着もなく、無関心に、丘の上の見物人として存在します。
それが強烈に今ここへ生きることです。
目を開けたまま、マインド劇場を見る癖に「バイバイ」です。

動物はマインド下にいます。
意識(神)はマインドの上にあります。
そして人間はマインド劇場にはまり込んでいて、この間を行ったり来たりして
落ち着きがありません。
階段を行ったり来たりでは本質的な居場所がないので落ちつけません。
瞑想が我が家に居る状態です。
いつでも、自分自身の本質である静寂に戻れる安心感…
我が家を育てる時間をとにかく持つ…

死がやってきても瞑想者は、もういつもの通り (^^♪

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