~ウラサの日記~ 名前への同化を捨てる

名前への同化を捨てる

2017.01.03.10:43

ある人が面白いこと
言っています。
「千と千尋」と「君の名は」に
同じゴーストライターが存在するということです。
その人はすでに亡くなっているのですが…
事実はどうでもいいことですが、
ちょっとその観点で洞察してみましょう。

共通点はズバリ、名前です。
釈迦の言葉を思い出してください。
「形態に名前をつけることで人は動く」…

千尋は名前を奪われて千と言う
別の名前を与えられます。
千として生きているうちに
千尋の記憶はどんどん消えていきます。
ハクはすっかり記憶喪失です。

「君の名は」も同じです。
名前を忘れると記憶も薄れていくので、
物語では、必死で名前を忘れまいとします。

この共通点からすれば、
同じ作者かも知れません。
そして一番伝えたいことが、
「千と千尋」だけでは伝えられなくても、
「君の名は」とセットにすることで、
伝えやすくなります。

けれども。機能障害のマインドは、
常に反対の解釈をして熱狂します。
ほとんどの人は、悟り的要素の
反対を夢見ていることでしょう。
実際、映画は反対を大切にするよう
醸しています。

名前を忘れちゃいけないのではなく、
名前に縛られている自我を自ら捨てなければ、
映画のようにまたマインド劇場に
舞い戻ることになるのです。

言霊(ことだま)と言うものに
威力があるのは、名前でしょう。
すっかり名前に同化しているからです。
背中からフルネームで呼ばれて、
「ハイ」と反応してしまうなら、そこは無意識です。
役者として、演技者として認識しながら、
ゆっくりと振り返ることもできます。

物語では、名前を取り戻すことに躍起です。
悟りは、反対…
忘れるのではなく、
意識的に名前の同化を切り捨てるのです。
何者でもありません。
意識に名前などつけられません。
マインド劇場は、マインド劇場として
反応ではなく応答すれば良いのです。

君の名は?
今ここです。(#^.^#)
名前は観念ですが、そこに記憶がたまりこんで
心理的な境界線を醸しています。
それが瞑想で破壊されるとき、恐怖です。
徐々に起こる人は、そうでもないかもしれません。
この恐怖を超えなければ、
生命とひとつになって生きることは出来ません。
自我の破壊以上の恐怖はないでしょう。
だから死の時に意識が飛ぶのです。
耐えられないことが起こるとき、
自然の恩恵でそうなります。
よく神は、越えられない苦しみを与えない
と言いますが、そう言うことです。
それで瞑想者は、帰りの準備をするのです。
天神様の道は細いので、
多くの観念を所有したまま通過できません。
名前への同化(黒魔術)が消え去ると、
そこにため込んだものも消えてしまいます。
それでよいのです、それで…

行きはよいよい帰りは怖い…
とならないように、
帰りは帰還する喜びに満ちていましょう。


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