~ウラサの日記~ 余暇の使い方

余暇の使い方

2017.03.11.09:39

最近、時期が来た人は、
全力で悟りの環境を整えることを提案していますが、
眠りと覚醒の間で止まっている人を目撃すると 
ウラサのマインドは、勿体ないと感じるからです。
過去記事で取り上げたかもしれませんが、
ダンデスダイジも言っていますので、
もう一度取り上げます。

ダンデスダイジの言葉

人類の全努力は、
純粋瞑想に打ち込むための余暇を作ることにある。
快楽は苦痛であり、安心は不安であり、
満足は不満足であり、悟りは迷いである。
これでよいのだ。それでよいのだ。
ただし、君は決して、これもそれも信じてはならない。
空に達するまでの修行速度が速い場合には、
魔境や諸神通を、ほとんど自覚せずに
通過してしまうことはあり得る。
個別性の世界から見れば、
すべては、二元対立であり、その対立に終りがあってはこまる。
統合性の眼から見れば、あらゆる相対は、相互扶助になる。
水晶のように透明に、あるがままの素直さで、
何かに直面することによっても、神は開示される。
直面するものは何でもいいのだ。
愛着は憎悪を内に含んでいる。
愛情は悲しみを内に含んでいる。
そして、全面的悲しみは、
愛へ変容する可能性を持っている。


信じると知識で終わります。
自分の中で目撃しなければ、闇は終わりません。
悟り人の提案は、自分で体験する必要があります。

鶴亀反対になると、神通力を使う人、
サイキックな人は、悟りの速度が遅いからであるわかります。
ヨガの人々によく起こってしまうパターンです。
禅はいきなり「空」に飛び込みますから…
私は、大学生の頃、ここを通過しました。
私はそんな能力より、
宇宙の法則に身を任せて生きてみたかったからです。
そういう在り方を取ると、
そこはあっという間に通過してしまいました。
罰が当たるとか,祟りとか、守護霊とか、
引き寄せの法則とか、物質化とか、
そういう想念が引き起こす世界観は、
とても幼稚に感じるようになったのもそのころからです。
和尚も言っています。
私のメソッドは、ジェットメソッドであると…
サイキックを感じないまま、
ジェットで通過するようなものと言うことなのです。
マインドは、こういう余計な力が出現すれば
勘違いをしてしまいます。
「空」こそ何一つそこに映し出されていない、
本来の状態ですから、それ以外に執着すると見えなくなります。
それを、自分を見失うと言うのです。
自分を見失うことは、常に内側で起こっています。
光は内側で失われています。

象徴的なことですが、
肉眼で自分の背中は見えないようになっています。
背中から遠く離れて、欲望を達成するため旅をしても、
最後は今ここの背中に戻っていく必要があるのです。
灯台下暗し、アルケミストの世界です。
探し物は、すでに今ここにあったと気がつかねばなりません。
どこにも行く必要がなかったし、
どこに行ってもそれは在ったのだと…
背中に意識を持って行って見てください。
心地よいものです。
エクスタシーさえ感じます。
何か他に必要でしょうか?
自分が安らかであれば、
自然と欲望は消えていきます。
そうなれば、生命の巡りにお任せする
生き方が起こってきます。
完全なるタイミングで
起こることが起こっています。
エゴで無駄な苦しみに
生命エネルギーを使わないでください。
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