~ウラサの日記~ 意識の副産物

意識の副産物

2017.07.22.14:59

意識を知らないままほとんどの人は肉体を脱ぎます。
意識が生長すれば、それは、
副産物として外側に現れます。
無意識の副産物もそれなりです。
副産物は色々なのですが、
それを解釈すると意識が見えなくなり自分を見失います。

今日も美祢のOさんが同居の義理の母、ばあちゃんの
無意識についてストーリーを展開します。
認知症でもないのにと、許せない様子…
私は全部、意識がないからだで済ませますが
それはまだ、Oさんには、理解できません。
ストーリー仕立てのゲームの解釈に
同化しているからです。
もう解釈しなくなると、マインド的解釈そのものが
面倒なものになります。

私は、実家のお母さんについての話題にふれました。
お父さんが亡くなられて、長い間一人暮らしの方でした。
なので、自立心は強い方のようです。
あるとき、自分自身にそれまでにない
変化を感じたそうです。

急な老化でしょうね。
そういうものは、当然にやってくるものです。
それでお母さんは、預金や身辺整理をして、
社会福祉に相談し、自分から施設に入ったそうです。
そして、Oさんには、事後報告だけ…
私は、それが、意識の成長度の差だと言いました。
実家のお母さんは、嫁ぎ先のお義母さんより
ずっと自己に精通していると言うことだと…
自分の面倒を見られることは、意識の副産物です。
悟り人でなくとも、ある程度意識が生長している人は
こういった、気づきを持ちます。
ですから、鶴亀が反対になり
意識が前面に出て生きる悟り人は、
本当に人畜無害です。(#^.^#)

悟りに直接縁がなくても、
自然の法則下でゆっくりですが、意識の生長は
起こります。

悟りの道は、これを意識的に行うものです。
だから量子的な飛躍と言われています。

意識って何?
それがあるのとないのとどう違うの?

思考の上が意識の世界です。
思考の下は動物の世界です。

意識を体験していない人々は
思考しなくなると、動物と同じになると恐れるのです。
どちらも思考の世界にないので不幸感は存在しません。
だけど、意識は自然を超えています。
人は、自然と調和しながら、意識に従って生きることが
出来る可能性を秘めているのです。
釈迦が言うところの、自らの灯です。
それに従って生きればよいことで、
利害のあるゲームのルールは必要ではありません。
今ここが全てです。
生命とは、今ここに溢れる質のものです。

物事を映し出す、性能の良い鏡の質として
自己を想起できるところまで行きましょう。










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