~ウラサの日記~ 瞑想は思考の上

瞑想は思考の上

2017.08.21.10:53

 
この絵を見て腹が立ちませんよね。
「うふっ!」
それで終わりでいいんです。
目撃したものの全体性に分離はないのだから…
背景の色がパステル系のブラウンでとか
猫が笑っていてとか
その猫は白と黒でとか
いくら言語化しても目撃は伝えることは出来ません。
外側はいくらでも都合よく嘘をつけます。
まして生は静止画ではないのです…
刻々と変化する今ここです。
マインドゲームはこの目撃を言語化してバラバラに
解釈するゲームです。
解釈しても今ここはもう流れています。
これがマジになると本当に疲れます。
どんなに言語化しても伝わらないストレスだけが
反作用で戻るからです。
目撃した何かは人により異なります。
同じものは何か?
それは、目撃力です。
それを使っているからです。
ニュートラルで使えるもの…
白紙やスクリーンや空に例えられます。
それを体験した人だけが
共通する使えるものを知ります。
分離のないひとつ…
不二なる状態…
それ以外は全部違うのだから
自分の価値観(目撃したもの)を押し付けても
不満が残るだけです。
映し出す力は同じでも
何を意識に上げているのかについては
皆異なるのです。
だから自分自身を生きるように「生」は動きます。
生命エネルギーの流れに自他はありません。
これは、道徳ではなく起こっていることです。
意識の広がりは、海の中に一滴の
インクを流したように思考を流してくれます。
外部の影響が精神に及ぼすことが少なくなります。
物理次元では同じように起こることが起こります。
何も変わりません。
でも生きる次元が目撃に入っているので
エネルギーはそちらに使われます。
物理次元に流れるエネルギーは必要最低限です。
だからマインドゲームが上手な人
(エネルギーが物理次元の損得だけに向かう)に比べると
エネルギッシュではありません。
物理次元では、肉体を意識に繋がる梯子として
使えたらそれでいいのです。
今の時代は、ゾルバ・ダ・ブッダの道で悟れるので
本当にありがたいです。
餓死寸前まで物欲を断つ…
釈迦以前のそんなメソッドはもう古臭いです。
目撃して下さい。
思考は消えていきますから…
心地悪いなら、頭での思い込み目撃です。
純粋な目撃も起これば一瞥です。
そこに心地悪さや圧迫感など、一切ありません。
実に心地よいものです。
自我が消えるってこんなに心地よいものなのか
思い知るでしょう。
バランスでは、消えるのです。
精神が絶好調なのは何も感じないけど
意識は残っているときです。
何も感じない無意識ではありません。
それではマインド以下の動物次元になりますから…
悟ってない人は、動物意識に戻して
思考の重荷を下ろそうと指導します。
似ていますが思考の上か下かでは全然違います。
何度も言いますが、悟りの一瞥がないと
思考を停止すると動物と同じになると言う
恐怖心が残ります。
安心してください。
思考の下ではなく瞑想は思考の上ですから…
だけどそこは、「知りません何も」の世界です。
「ただ、目撃しています」それだけです。
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